オペラマガジン劇評
2019年10月 ディトレフ・リンドン
日記、危うい結婚生活、そして秘密に満ちた一家を舞台として、フランチェスカ・レロイの独創的な新作オペラ『The 鍵 Key』の英国初公演が今年のTête à Tête Opera で幕を開ける。欲求不満の中年の大学教授は、新年にあたり日記をつけ始め、20年の結婚生活における性的不満を記録する。日記の鍵をわざと見えるところに放置する彼。まもなく妻は夫の日記を読み、自分も日記をつけるようになる。日記を通して、夫婦はそれぞれの秘められた欲望や不満を、互いに知るところとなる。夫妻の娘の若き求婚者は、じきに将来の義理の母との間に性的魅力を感じあうようになり、それが夫妻のエロティックな情念を再燃させる。しかしこの企てに否応なしに立ち籠める問いかけはこうだ。「作品全体を通して解説なしに繰り広げられるこうした半私的で半公的な告白から我々は何を推しはかれるのか?登場人物は本心を打ち明けているのか、それとも他の者を欺こうとしているのか?特にセリフのない娘と恋人の思惑は一体?」
レロイは、原作である谷崎潤一郎の書簡型小説のあらすじに忠実に添いつつ、本作を音楽的なパフォーマンスアートとして蘇らせている。ミニマリストな10 Tollgate Driveという白壁、ウォールナット材と石造りの素晴らしい空間で、登場人物にはそれぞれアンサンブル奏者があてがわれ、演技は家のここかしこで繰り広げられる。夫による冒頭の居間のシーン(ダブルベースと尺八の伴奏)の後には、廊下で自分の境遇を黙考する妻(笙とチェロの伴奏)のシーンが続く。物語がより複雑になるにつれ、音楽と演技の風合いが絡み合ってくる。夫妻は同時に別室で独白し、演技は階下にも発展していく。歌とのぞきを交互に繰り返す娘の苛立ちに駆られた泣き叫びを、鼓とバイオリンが引き立てる。一方恋人は、幽霊のようなダンサーが演じる。彼の旋回は、家全体の抑圧されたエネルギーの鍵を開けていく。本作品では、より観やすい観客の立ち位置というものはなく、観客の各々が空間を回遊しながら目にするシーンの部分部分をもとに、登場人物の行動や動機を探っていくのである。
ヨーロッパの楽器と和楽器を混合し、歯切れの良いテクスチャーと全体的にモーダルハーモニーを用いたレロイの音楽は、(おそらく偶然の要素も含めて)武満徹の影響を色濃く受けている。声楽的にも、音節の使い方や控えめな音域による表現形式を用いることで、日英二カ国語のテキストがより明確に伝わるよう工夫されている。しかし、本作の成功の要因は音楽的要素のみならず、言葉、音楽、視覚的表現および空間の巧みな相乗効果と、尼子広志、工藤あかね、望月あかり、綾香正三をはじめとする出演者の申し分なく、綿密に稽古を積んだ演技によるところが大きい。クライマックスのシーンでは、庭に出てひそやかに誘惑し合う妻と恋人を、観客はガラス窓越しに覗き見る。ついに夫は脳卒中のため階下の居間で息絶え、彼の脈音と呼吸器はダブルベースと尺八がリズムを刻む。本オペラが、大きく異なる環境で成功することは難しいかもしれない。しかし、本年のヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞に輝き話題をさらったリトアニアの作品『Sun and Sea:Marina』を訪問した私としては、『The鍵Key』には同様に強い印象を受けたことを特筆しておきたい。
和訳:佐藤有紀