朝日新聞:2019年東京公演

(around Stage)「古民家オペラ」にみた創造の形 一見奇抜でも伝統は脈々と

2019年8月1日  朝日新聞夕刊

谷崎潤一郎の長編小説「鍵」を原作に、日本で制作された音楽劇が今月、英国の現代オペラフェスティバルで上演される。互いがのぞき見ることを前提に書かれた日記を通じ、嫉妬によって性欲を燃え立たせてゆく夫婦、その娘、そして妻の愛人の4人が紡ぐミステリアスな心理劇だ。

 東京でおこなわれた昨年の初演と今年5月の再演に立ち会った。会場は足立区の「仲町の家」と台東区の「旧平櫛田中邸アトリエ」。いずれも住宅街の路地に異空間のようにたたずむ古民家である。

 作曲は英国人のフランチェスカ・レロイ(29)。スコットランドの音大で作曲を学んだ俊英だ。笙(しょう)など邦楽器の響きのとりこになり、日本に留学。様々な芸術に携わる日本の若者たちとの交流を深めるとともに、谷崎作品を音楽劇にという長年の夢を実現すべく、「鍵」プロジェクトをたちあげた。東京芸大大学院国際芸術創造研究科の友人、山下直弥が企画制作を担当。ソプラノの工藤あかねやバリトンの松平敬ら、現代音楽の世界のプロ歌手も集結した。

 幾種類もの和洋の楽器の響きが気怠(けだる)く充満するほの暗い空間のもと、登場人物らは同時進行で自身の内面を独白してゆく。指揮者はいない。互いの欲望の気配をかぎとりながら、原作の小説さながらに、手探りで演奏が進む。

 ソプラノの妻の部屋には笙とチェロ。バリトンの夫の部屋には尺八とコントラバス。メゾソプラノの娘の部屋には小鼓・締太鼓とバイオリン。そしてコンテンポラリーダンサーが演じる愛人の部屋には琵琶とクラリネットの奏者が1人ずつ配されている。廊下や障子でゆるやかに隔てられたそれぞれの部屋を、観客は気の向くまま思い思いに「回遊」しながら鑑賞する。

 2階にある妻の部屋から階段を下りてくる夫と鉢合わせになり、あわてて忍び足で引き返す観客も。そんなハプニングも含め、すべてが芝居になる。「非現実」に住まう役者と、それを「現実」から眺める観客。その両者が思わぬかたちで邂逅(かいこう)し、構図が逆転するのだ。

 終演後はおのずと演者を30人ほどの観客が囲み、感想などを語る座談会に。日本文化に造詣(ぞうけい)の深い、詩人で翻訳家のピーター・マクミランさんが「和の響きとか洋の響きとか、そういう区別を全く感じなかった。それぞれの登場人物の雰囲気に合う音色が、理屈ではなく自然な感性で選びとられていた」と語ると、みな大きくうなずいていた。

 普通の劇場では生まれ得ない密度のコミュニケーションを体感しつつ、ルネサンス期に古代ギリシャ劇の復興を志してオペラが生まれた瞬間ってこんな感じだったのかな、などとぼんやり考えていた。

 19世紀には、実際に起きた不倫や殺人事件がオペラの格好の素材になった。新聞なき時代の三面記事であり、テレビなき時代のワイドショー。オペラは究極の総合芸術という顔つきをしながら、人々の秘め事をのぞき見る下世話な「窓」でもあったのだ。

 そんなことをつい思い出してしまうほどに、「古民家オペラ」とでも呼ぶべき今回の試みは、一見奇抜ながら、会場のしつらえから楽器の選択まですべての発想が、原作の空気感や音楽劇の伝統にごく自然に連なっていた。新たな世代の感性が国境を超えて連携し、まだ見ぬ上演形式を導き出してゆく。創造は、いつの時代もかくあるべし。(編集委員・吉田純子)