TÊTE-À-TÊTE: THE OPERA FESTIVAL:サイトスペシフィック作品評より

Schmopera誌, アレッシア・ナッカラート 2019年8月5日

今夏、Tête-à-Tête’s のオペラフェスティバルで二作品を観る機会に恵まれた。主題もスタイルも多岐に亘ったが、伝統的なオペラパフォーマンスを新たに構想し直し、オペラというジャンルの制約を曲げようという点において共通していた。

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私が観た二作目は、作曲家、劇作家、演出家であるフランチェスカ・レロイの日英合作『The鍵 Key』である。原作は1956年、谷崎潤一郎の同名小説で、ある夫妻の破綻しつつある結婚生活を日記の内容のみで語ったものである。登場人物は、互いの日記を読むことで間接的に交流し、彼らの行動が大胆になるにつれ、結婚生活を完全に破綻させてしまいそうになる。

サイトスペシフィックオペラである本作は、ロンドンの建築家アンガス・シェパードによるウェスト・ダルウィッチ地区のミッドセンチュリー建築邸宅で上演された。細部にこだわり練り上げられた本作にはぴったりの会場である。トリオが三組とソロダンサーが一名おり、各トリオは歌い手、西洋弦楽器の奏者、そして日本の伝統楽器、すなわち尺八、笙、締め太鼓の奏者で構成されている。

各トリオには邸宅内の一室があてがわれているが、音は開け放したドアを通して各階に漏れるよう仕組まれている。トリオはそれぞれの音楽を独立して、他のトリオと同時進行で演奏する。ときにあるトリオがフォルテに盛り上がる一方で、別のトリオが次第に消え入り沈黙に至る、ということが起こる。楽器は互いに継ぎ目なく絡み合い、邸宅内のそれぞれの部屋に物語を誘導していく。観客は自由に部屋を行き来することができ、様々な角度から語られる物語に、自分なりの解釈をすることができるようになっている。

私が観劇した上記2作品は、いずれも観客に参加や探索を突きつけるものであった。観客が舞台に向かって着席し、舞台上に演技が限られる伝統的な上演形態と異なり、これらの作品における「舞台」は、ブラックボックスシアターや誰かの居間といった、演技空間の全体であった。『Visions』では観客の参加は不可欠であり、作品中を通して演じられる儀式になくてはならない一部を成し、作品全体の雰囲気に欠かせない要素であった。同様に『The鍵Key』でも、邸宅内を歩き回り、演者の演技や動きに反応する観客は、思いがけず演技の一部となっていた。

本2作品を説明する際に想起されるのは「親密さ」である。『Visions』ではそれが雰囲気に現れるのに対し、『The鍵Key』では強力な主題となっている。大きな演技空間であっても、演者の努力により特定の雰囲気が創出できれば親密さを感じさせることは可能ではあるが、20名程度の観客しか収容できない個人の邸宅という限られた空間では、親密さがより得やすいと言えよう。

結婚生活の内情に迫る主題の親密さも去ることながら、邸宅を演技空間に選んだことで、観客はより私生活ののぞき見の感覚を感じたのではないか。一方『Visions』では、暗く没個性の空間を、ここかしこで演技が行われる中、観客が自由に座る場所を選ぶことができるみずみずしく心地よい空間に変えることにより、この親密さを創り出していた。

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和訳:佐藤有紀