THE鍵KEY のどこに興味を惹かれましたか?
日英協働創作を行うホール・ホッグ・シアターの演出家として、『The鍵Key』には非常に興味を惹かれました。小説を読んでみてすぐに、これはあまり知られていない日本の家族の親密さをじっくり描いた重要かつ素晴らしいフィクションであるのみならず、フランチェスカ・レロイの作風に最適な作品であると思い、直感的にこの作品に携わりたいと思いました。フランチェスカのコンセプトは素晴らしい発想で、『THE鍵KEY』の物語が彼女の音楽的風景の創作法に合っていたため、翻案を専門とする私としては、本作品に関わらずにはいられなかったのです。
THE鍵KEYの一員となった経緯は?
日本で活動し始めてから数年経った頃、共に2015年〜2017年の大和日英基金の奨学生だったフランチェスカ本人からプロジェクトについて聞きました。創作のかなり早い段階で、作品のコンセプトやステージング、芝居の独特な世界観といったドラマトゥルギー的な問題について意見を求められたことが始まりでした。やがて試演会の振付家兼として加わることになり、その後、支援団体ホール・ホッグ・シアターのドラマトゥルグとして関わることになりました。
ドラマトゥルクとしてTHE鍵KEYで直面した最大の課題は何ですか?
最大の課題は3つありました。これほどの規模のプロジェクトを最小限人数のチームで運営すること、この複雑な物語を3つの異なる会場で表現すること、そして様式と中身のバランスを取ることです。観客に動き回れる完全なる自由を与えた作品を創作する一方で、観客が充分に作品を味わえるよう、ある程度のストラクチャーを持たせることで、ストーリーの力や構成を大事にした作品にすることのバランスに常に気をつけていました。どこまでいくと、本作の形式が釣り合わなくなり、物語の根本にある重要なテーマを伝えることが難しくなってしまうか、ということが課題でした。観客が室内に入ってくることをきっかけに始まる演技の集まりであるため、二度と同じ上演というのはありませんでした。このため、どの時点で形式が内容を上回り、観客が物語の大半を見逃してしまい、テーマを理解できなくなってしまうのか、ということに常に気を遣い、自問自答しなければなりませんでした。限られた資源で実現するには非常に大規模なプロジェクトで、クリエイティブチームとキャストの皆さんは素晴らしい仕事をしたと思います。
THE鍵KEYを異なる住居空間で上演することは、演技にどう影響しましたか?
日本の2つの異なる会場では、物理的空間や、観客の動線に基づく変更が主で、必要に応じて観客をどう誘導するのかを決めていきました。それぞれの会場で、空間内での自然な人の動きを検証し直し、ある会場での上演形態を別の会場に移し、なんとか辻褄を合わせるのではなく、その空間が持つ性質に合わせて演技を調整していく必要がありました。しかし、ロンドンでは作品全体のコンテクストが異なりましたので、上演空間の社会文化的な要素に合わせて物語を翻案しました。日本人の登場人物と、西洋文化と日本文化の並列を確実に掘り下げつつ、同時に英国の邸宅というコンテクストでも意味をなすものにするには、いろいろなことを考慮する必要がありました。例えば、イギリス建築と日本建築の違い、そしてそれが生活上の対人力学にどう影響するか、です。さらに、ロンドンの会場が個人の邸宅である一方、日本の2会場は住居ではなく、一般に公開されている建物だということも大きな違いでした。例えば、東京の公演では日本の伝統的家屋で日本の伝統的家族の物語を追っていきます。妻は着物を着ていますが、自身の状況や夫への想いが変化するにつれて、より頻繁に洋服を着るようになっていきます。イギリスでは、観客に、会場であるロンドンの邸宅が日本の伝統的家屋であり、女性は和服を着ているものだ、と想定してもらうわけにはいきませんでした。しかし、妻の伝統的日本の感覚、そしてそれが西洋文化にどう影響されているのかを表現することが重要でした。そこで、ここの語り口を変え、ロンドンの物語では日英混合の家族という設定にしました。妻はこぎれいで、上品な、現代日本のドレスを着ていますが、彼女の心持ちが変化するにつれ、彼女の服装も変わり、よりカラフルで、体にぴったりしたカジュアルなドレスを着るようになっていきます。この決定により、今日のイギリスの文化背景における日英家族のアイデンティティ問題を探る、という重要なプラットフォームが決まりました。
THE鍵KEYの今後の発展を考えたときに、何を期待しますか?
『THE鍵KEY』はぜひ、世界の様々な観客に観ていただきたいです。作品の親密な性質を変えることなく、より大勢の観客に合わせて上演できることも期待しています。ビデオや監視カメラを利用することで、作品ののぞき趣味的な性質を表現することも検討されているようですが、こうしたドラマトゥルグ的展開により、観客が別の方法で本作品を味わうことができるようになるのでは、と思っています。特に、VRおよび/またはライブストリーミングを利用して、本作品のヴァーチャル体験を創作するという案は、現在の世界の状況にぴったりで、興味を惹かれています。この手法は、コロナ禍後の世界にとっても、ソーシャルディスタンスを保ちながら愉しめる演劇の範囲を広げ、また演劇とは何かを問い直しながら創作していくという点で、示唆に富んでいるのではないでしょうか。
和訳:佐藤有紀